2011年2月22日火曜日

ちょっとした幸せ




さて、世の中不景気で不景気でというのは昨今よく耳にすることだと思います。

で、企業や親、失業者や今の求人現場などの言動を色々と見てきましたが、どうもそもそもの根本がおかしいと感じてます。
ここらへんは他の気楽に生きる、自分主体に生きるという形で発言している人もいるので目新しいことを書くわけでもないですが、ちと周りの環境などに流されて気持ちが沈んでいる人の助けにでもなれば。


・褒める技術を高めよう
とかく、どうも否定から入る人が多いように思えます。
ビジネスでは炎上ビジネスが幅を効かせてますし、対立政党や企業間においても基本、同意よりも否定で争う場面が日常よく目にします。
日本人においてこれらはコミュニケーション能力不足の表れだとは思うのですが、そのような自覚がないと思います。
少なくとも否定、拒否からコミュニケーションは健全に発達していかないと思います。

相手をある程度認める事は必須で、まずはそれを全面に出す表現の訓練をした方がいいと思います。
過度の賞賛は嫌味になる場合もありますが、否定で嫌味になるよりはよっぽどましです。
褒められて気持ちが悪くなる人はあまりいないと思います。
まず、相手のいいところ、そこを中心にコミュニケーションを計りましょう。


なお、全くの蛇足ですが、どうしても言い分が理解出来ない相手は何も言わずにさっさと退場したほうが利口だと、付け加えておきます。
喧嘩してもたいてい、いいことないですし、争うという時点で時間の浪費につながることが多いです。
利益を考えて喧嘩はしましょう。


・不幸教はやめましょう
いわゆる不幸自慢、意味のない努力の強制、マッチョ・体育会主義はよく言われるように、上からの規則縛り付けの方便なので乗ることはないと思います。
今の社会でかなりこれに則った環境を強いられるケースが多いため、かなり洗脳されていってしまいますが、自分が加害者になってもいいことはありません。
上記のように下の人には毅然とした態度で個人を認めあげて動かすようにしましょう。
残業自慢や苦労をしたほうがえらいという価値観は、非合理的です。
大体、それ国が回るのであれば現在の不況を乗り越えて現在またバブル時期なはずです。
そんなのはバブル時期が下を押し付けるためにできた教義なので、潰れた宗教に乗ることはないです。
現実を見ろという意見もこの教義にありますが、現実を変えるためにこの教義が働かないのは自明です。

社会の階級上、このシステムを覆すのは難しいというのがたしかに現在の日本ではあります。
ですが、声を上げる場がネットにできつつある今、あえて自分がこの教義を拡散させて得られるメリットはないと思います。
社会はそういう人を弾くという非常に嫌な時代で、それをどうこうしろと私には言えないですが、せめてこのような縛り付けの教義の問題点を理解する人が増えることを祈るばかりです。