2011年2月2日水曜日

忘れることを前提とした記憶術




記憶することが重要という幻想はなんで起こったのか。

・手書きをしないと書けなくなる。
・ナビを使うと地図を覚えない
・年を取ると忘れる

親類の会合の席で年配や同年代の人が色々と言われてましたが、そもそも覚えるのはなんでだろうということを考えるとこれらが前世紀の幻想ではなかったかと思えます。

会社でメモを取るようにOJTされますが、これは仕事を効率良く、ミスを減らすためであって先輩の聞く手間を減らすことを第一に考えたり、ミスを完全にしないためではありません。
そもそも作業用のドキュメントが揃っていれば押し付ける必要もないのでこの言い分も何か変ではあります。

手書きのメモ至上主義もどうかと思います。
書く行為、それ自体は入力デバイスの個人差がありますが紙は検索性が悪いです。
これを補完するためにEvernoteを利用という考え方やツールが増えてきました。

クラウド時代において記憶、定型句的なスペースはクラウドに任せたほうが楽です。
そもそも増加する情報量を相手にたかがしれてる人間の記憶量と紙で戦うのは前大戦の竹槍の再来です。
お得意様だけで商売するのであればいらないですが増税傾向や今の国の信頼性のない状態で手を打たないのは呑気としかいいようありません。


クラウドにどう任せるかが問題になりますが、要は検索とクラウドまでのリーチが扱う情報において考慮すべき点です。
なんでも放り込んでる場所としてEvernoteやGoogleが優秀です。
クラウドストレージも選択肢は多くなってきましたので個人の処理フローやデータの置き場、活用などを一度整理してみるといいのではないでしょうか。

我々はモバイル(スマートフォン・タブレット端末)とクラウドを手に入れたという前進を忘れてはいけないと思います。



補足:
これらはいわゆる社会人などの記憶術の一つの提案です。
学生の基礎学力に関して覚えることを否定するような意味ではありません。
基礎学力内のものは情報を引き出すためのツールであり、それは基盤をしっかりさせるためのものです。
そこは履き違えないでもらいたいと思います。